熊本地震、九州地方地震に際して、既に様々な支援が行われています。自衛隊や行政などによるプロフェッショナルな支援に加え、いち早く物資を届けるなどの民間の支援、また台湾をはじめとする海外からの支援のお話しも聞こえてきています。とてもありがたいことですね。被災したわけではない私ですが、とても心強く感じているところです。心から感謝したいし、私にできることを探していきたいと思います。
そのような状況の中、ボランティアのやり方や救援物資の内容、様々な情報が飛び交っています。何が本当で、どうすればいいのか、素人目にもむずかしい部分があるんだなと感じています。大切になるのは、単に「こうした方がいいと思う」とか「これが必要だと感じた」とかの推測や予断などでの行動は、被災地に余計な負担をかけてしまうことなんだなと理解すること、だと思うのです。
流言飛語にも劣るようなデマや、火事場泥棒のような輩は論外だとしても、善意の決め付けや無責任な行動は慎まなくちゃいけない、そんなことを感じるのです。それはそれをやった人の自己満足にしかならないし、被災地に新たな負担を強いることに繋がる。何がほんとうに必要で、どうしなくちゃいけないのか、見極めが重要な段階だと感じています。
情報をしっかり捉えて深く考え、自問自答しながら被災地に寄り添ったコトを考えること。簡単そうでむずかしいことだと思います。また刻々と状況は変化し、それに連れてやるべきことも変わっていくのですからナオサラ。でも、そういった心遣い、気配りがないことには、押し付けや決め付けになってしまうことも事実なのです。被災者の方も様々なら、支援者も様々。最低限それは理解したい。
私の生業にも関わることではありますが、支援を考えるにあたり「ことば」の大切さもとても大きいのではないでしょうか。一面的な捉え方で鵜呑みにしたり、それこそ押し付けに聞こえたり決め付けに受け取られたり。個々人のバックボーンは全て違うと言っても過言ではないです。十人十色という以上に違うと思います。多様性を全て受け入れられるぐらいの覚悟が必要だと思います。
様々なことを自粛することが正解だとも思いませんし、逆に何もなかったかのように振る舞うことが正解でもありませんよね。全てに正解はないですし、また間違ったことが不正解とも限らない。でも、良かれと思ってやったことが迷惑になってしまうのは悲しい。動機が良ければ全て良し、ではないことを考えていたいと思います。謙虚に慎重に、情報を見極めていきたいものです。
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