◆佐賀県三養基郡みやき町出身、在住
長女、長男、次女の三人のお父さん。2011年3月に家内がクモ膜下出血で倒れ、生活が激変。家内の病院でのリハビリと家事、そしてオシゴトにナントかガンバリ中のおやぢ。
◆略歴
中学校時代より音楽に目覚め、作詞、作曲をはじめる。また東京での音楽専門学校時代に多数のライブを経験。音楽理論、編曲手法等についても学ぶ。東京時代よりコンサート、ライブ、その他イベント等の制作にも多数関わる。
帰郷後、広告制作プロダクションに入社。様々なイベント、コンサート、ディスプレイなどに携わり、アートディレクター、イベントディレクター、プランナー、コピーライター等の業務を担当。
1996年、佐賀県内では数少ないイベント中心の総合制作プロダクション、プランニング&プロデュース『ディーズ』設立。1999年法人化。代表取締役。
2004年にはスタジオ事業部として「C3スタジオ」設立。ダンスレッスンやヴォイストレーニングに取り組むなど展開。2011年、家内の病気により自宅での業務に転換。
◆音楽制作
1998年、佐賀、福岡在住のプロミュージシャン達とともにミュージックレーベルJAMを設立。以来オリジナルコンピレーションCDアルバム(1998年「喜喜楽楽」、1999年「旬歌集燈」)、ミニアルバム(1999年「ヒーマンの のばなCD増短号」)を皮切りにCD出版活動を開始。
オリジナルCD制作の他にも自治体や企業のイメージソング制作プロデュースやCM音楽等の制作も行う。またそれらの中で作詞家としての作品も数多く制作。
JAMレーベル所属ミュージシャンのソロアルバムプロデュースも手がけ、2002年にヴォーカルの堤田ともこ「White」、同年サキソフォンプレーヤー深町宏「THE BREATHING WIND」、2003年再び深町宏「Snap! Step! Skip!」などが好評を博す。また佐賀の有名タレント、パーソナリティのヒーマンを起用し、2005年に「がばい佐賀弁」を限定リリース。ローカルでは異例の3,000枚を超すヒットとなり注目された。
その後、徳間ジャパンコミュニケーションズから「がばい佐賀」として全8曲入り、ミニアルバムとしてメジャーリリース。全曲の作詞とプロデュースを担当。
2007年には子育てシンガーmonを起用し、「あおぞら 〜世界中の子供(きみ)たちへ〜」をSingleリリース。子どもへの愛情や子育て、命への賛歌といったそのメッセージ内容と、楽曲そのものが評価され各方面で絶賛される。ジャケットのブックレットには、初の書き下ろし短編小説も収録。翌2008年には、平原綾香らビッグアーティスト七組が出演した「三瀬プラネットジャム」の公式イメージソングとして、「PLANET 〜サファイアブルーの星〜」をリリース。その後「タカラモノ」をリリースし、佐賀県家族団らん県民運動サポートソング「ごはんだよ」、また第64回全国人権・同和研究大会サポートソング「ともだち」をカップリングしたSingleをリリース。2012年10月にmonファーストアルバム「ゆい」リリース。
その他、地元のアーティスト、ミュージシャンのCDプロデュースも手掛けている。
◆子どもミュージカル等
2000年に結成されたにわかミュージカル in 牛津「WARAWANBA隊」で、結成以来、作演出をつとめた。伝統芸能である「にわか」を取り入れた、こどもミュージカルというユニークさから注目された。佐賀県内各地のイベントに招待され、数多くの公演を実施。2003年佐賀市で行われた「にわか選手権」でグランプリ受賞。2004年5月には海の中道国営公園「フラワーピクニック」にゲストとして招かれ、また同年11月、福岡国民文化祭での「にわかの祭典」(於・福岡天神エルガーラホール)に佐賀県内から唯一招聘を受けた。同年12月に、二年連続となる「にわか選手権」グランプリ受賞。結成以来ほぼ毎年、佐賀弁たっぷりの新作を書き下ろし、その内容から佐賀県内で、特に高齢者に大好評を得た。
また2003年、鳥栖市政50周年を記念して結成された「キッズミュージカル鳥栖」では、当初からスーパーバイザーとしてサポート。初年度の「愛と地球と競売人」公演で大成功を収め絶賛。2004年にはオリジナル作品「虹のあどれす」を初公演。音楽監督、歌唱指導、楽曲の作詞や詞の共作、また指揮など兼任。2006年、山口県で開催された山口国民文化祭に同作品出品、公演。鳥栖市での凱旋公演とともに大成功。
◆文化事業等
2001年に始まった佐賀県内の公立文化施設五館(佐賀市文化会館、唐津市民会館、有田炎の博記念堂、サンメッセ鳥栖参加)による広域文化事業「新世紀さが座」ではその企画段階から携わり、総合ディレクターをつとめた。その中の企画でニューヨーク在住の有名ジャズカルテットMJQや、日本を代表するジャズピアニスト山下洋輔氏らと、地元の伝統文化団体とのコラボレーションコンサートを成功させ、また日本昔話で有名な常田富士男氏を招聘しての、地元のむかし話朗読コラボレーションなども実施。
◆その他
佐賀弁についての造詣も深く、「がばい佐賀」を筆頭にオール佐賀弁の楽曲の作詞も多数制作。2004年には、島田洋七原作の映画「佐賀のガバイばぁちゃん」の佐賀弁監修、指導を委嘱され、佐賀ロケから東京でのスタジオ撮影まで同行。倉内監督はじめ主演の吉行和子さんからも高い評価を得た。
さらに、ヒーマンのメジャーミニアルバム「がばい佐賀」をきっかけに、佐賀弁にフォーカスしたブランド「がばい佐賀」を創出。本村製菓の丸ぼうろ、佐賀県食のお米など異業種を結ぶ地域ブランドとして注目された。