この曲は、もともとは北村尚志さんが歌うバージョンがオリジナル。monのALBUMに収録したので、そちらしかご存じない方もいらっしゃるでしょう。でも、北村さんの4thALBUM「うちへ帰ろう」のために書き下ろした新作曲だったのです。基になったのは、ZUNちゃんのご近所で起こった出来事。女の子を主人公にしていますので、北村さんカナリ苦労して歌われていました。泣けるイイ曲になったと思います。
mon 1stALBUMの冒頭を飾った、短めの曲です。アルバムタイトルを考えていた時、monちゃんが聞いたというお話しが元になりました。人は人と関わり合いながら人生を紡いでいく、そんな気持ちを込めています。一生のうちに出会う人は、よっぽどの人でもない限り、そんなにたくさんではないですよね。出会いを大切にしながら、認め合いながら生きていきたいものです。
糸島市サポートソングというカンムリを頂きました。monちゃんが住んでいる地域ですし、その活動ではたいへんお世話になった土地。海と山に挟まれた、とても素晴らしいところですね。美味しいものや美しいもの、楽しい場所や豊かなものに囲まれたところだと思います。その土地で生きていく、どこであれそれは尊いと思いますが、糸島であればステキなことだな〜と思うのです。
岳の新太郎さんという民謡が佐賀にはあります。そのお囃子で印象的なのが「ザ〜ンザ、ザンザ」と言う合いの手のようなもの。それにインスパイアされて作った曲なのです。またP・L・A・Y’sと言うダンスパフォーマンスチームの為に書き下ろした曲でもあります。なので、歌っているのは当時P・L・A・Y’sに所属していた子たち。元気にしてますか〜?曲はまだまだ生きてますよ〜!
実は「がばい佐賀」の、最後の収録候補曲だったこの曲。佐賀弁をできるだけ薄くして「ふるさと」的な匂いがするもの、と言うコンセプトで作ったのですが、濃ゆい曲揃いの「がばい佐賀」ではちょっと薄味すぎるかも?で、リリースするなら2作目がよくない?ってコトで収録を見合わせたのでした。でも、ジブンでは切ない感じとかけっこうお気に入りなのです。お酒のメーカーさんとか、イメージソングにしません?
CDの紹介でも書いていますが、佐賀県内の幼稚園、保育園にお遊戯体操に活用してもらえるよう制作された動画です。振付けは井上幸子女史。チビッコが踊りやすく親子でも踊れて、また安全に配慮して覚えやすくなど、細かい指示をいただきつつ振り付けられました。現在も佐賀県のホームページで公開されています。
私の作詞の代表曲である曲の、初出のバージョンです。1998年8月にリリースしたcompilation ALBUM「RYOZAN-PACKⅠ 喜喜楽楽」のリード曲として制作しました。
歌唱は、九州のCMの女王こと堤田ともこさん。伸びやかな歌声は聴き惚れますね。そしてコーラスは当時小学4年生だった佐賀大学附属小学校のみなさん。完成した際には、かなり感動しました。
1998年制作の compilation ALBUM「喜喜楽楽」に収録した曲です。少し恥ずかしいですが、作曲、歌唱も私、大島がやっています。変拍子を多用した曲、ZUNちゃんのアレンジでドラマチックに仕上がりました。